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箸墓

檜原神社から二上山の方向に山を下りて行くと途中にホケノ山があります。
ホケノ山は3世紀中ごろに築造された最古の前方後円墳だといわれています。



ここへ来るのは二度目です。
前回はホケノ山古墳の草刈りをしていて上ることができませんでした。
次に来たときは絶対に頂上に登ろうと心に決めて去ったのでした。




どこから上るのだろうと思いましたが、道が見当たらないので思い切って正面上ることにしました。




草がぼうぼうに生えていて膝まで埋まってしまいそうでしたが、きっと大丈夫だと思いがんがん登って行きました。




ホケノ山古墳





着きました、頂上です。
目の前に箸墓が見えます。
良い景色です。




ホケノ山より




ホケノ山古墳を降りて箸墓に向かいました。




大市古墳




箸墓は倭迹迹日百襲姫命大市墓(ヤマトトトヒモモソヒメオオイチハカ)
そしてまた、卑弥呼の墓とも言われています。


箸墓


【倭迹迹日百襲姫命大市墓】



孝霊天皇の皇女であった倭迹迹日百襲姫が御諸山(三輪山)の神である大物主神の妻となったとする神婚伝承があります。



倭迹迹日百襲姫は箸で下腹部を突いて薨じ、大市に葬られたが、人々はその墓を名付けて箸墓と呼んだとされています。




崇神天皇の祖父孝元天皇の妹、倭迹迹日百襲姫命は大物主命の妻となりました。


しかし、この神は夜にばかり通ってきて姿を見せないので姫はまだお姿を見たことがありません、どうか夜の明けるまで居て美しいお姿を見せて下さいと願いました。



神は「明朝お前の櫛箱の中に入っていようと答えた。姫は朝のくるのを待って櫛箱をあけると中に美しい小蛇がいたので驚いて泣きだすと神は人の姿に戻り「よくも私に恥ずかしい思いをさせてくれた」といって三輪山に帰ってしまいました。



姫はたいへん後悔しそのはずみに箸で陰処(ほと)を突いて死んでしまいました。


そこで人々はその墓を箸の墓と呼んだそうです。





箸墓は二度目ですが今回は前回よりもかなり整備されて綺麗になっています。
色々な説はあるようですが、私は卑弥呼の墓だと思いたいです。





さて、このあと車のある大神神社まで戻って、車に乗せてもらって舒明天皇陵と崇峻天皇陵のある倉梯とに行きました。




この辺りで結構足はヘトヘトになっていたので、車はありがたいです。
先輩のご主人さまに感謝です。






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